オンラインとオフラインの谷間で反復横跳び

 

 

ずっとまとまった文量を書ける状態になく、3月末から数日間やっと人らしい生活を過ごしてここを思い出した。

 

 

テレビの向こうではどうやら今までにない事態になっているが、自分の周りでは特に何もないし外に出ている人の量も変わらず、まるで別の世界を見ているようだ。そもそも地方は人が出ていないというのが大きいけど。

 

近所の神社に仕事のお礼参りに行ったときに、ご神職が「いつも通りにいられることが一番幸せですよ」とご自身の身の上話を交えつつ話されたけど、今の情勢と自分の周囲を見てそのありがたみを実感している。入金済で楽しみにしてたライブとイベントが2つ吹っ飛んだけど健康にはかえられない。(悔し紛れ)

 

そんな日々も明日で終わり、また給水所がないマラソンみたいな1年間が始まる。特別良いことは望めそうにないが、いつも通りを続けられる1年を過ごしたい。欲を言えばもうちょびっとだけ休みたい…

 

 

 

 以下近況

 

 

 

 

 

〈話と手帳〉

 

ブログを書けなかった6割の理由はめちゃめちゃ忙しかったことだけど、残り1割の理由としては手帳に書き込むことと人と話すことが増えたことだ。あとの3割はツイッターに張り付いてるから。

 

2年前くらいから週一で専門の人に話を聞いてもらうことはやっていたんだけど、その過程で出来事を書きだすことをするようになった。それをベースに話を進めているうちに、話したことで心に引っかかったことは手帳にまとめておくと便利じゃね?となり、それ以来手帳に書くことが増えているのだ。

けっして歳で記憶力が弱まっているせいではない。書いた方が便利だから。あとパソコン立ち上げるよりアウトプットが早いから。

 

 

とはいっても毎日こまごまと日記をつけるようなマメさはない。気になったことを単語やキーワード程度でササっと走り書きする程度だ。それぐらいだから気負わずにできる。

 

ただ手書きは汚いのがデメリットだ。整った字と見やすいデザインのブログにはこの点だけ勝てない。いつかスマホから飛ばせるハンディプリンターで手帳に印字できれば良いのだけれど。

 

あとは、話せる人、というか話してくれる人が少し増えてきたおかげもあるかもしれない。

よく「一人で抱え込まないでね」と言われていて「?」と感じていたけれど、今になって思うに自然と話せるようにならないと抱え込んでいるものが見えていないし、見えていないから相手に出せないのだ。

思うようにヒトとうまくやれることは十分にできてはいないけれど、「できない…(けどできたい)」とハードルを下げているうちに周りの人に良い状態まで連れていってもらった気がしている。

 

 

【ぬい活】

 

ライブやイベントの参加が少なくなったかわりに、気の置けない友人とホテルにこもって鑑賞会を行うなど、身内の企画でまったり過ごすのが楽しくなっている。

友人と過ごすときや一人のお出かけのときには、推しの偶像をお供にして写真を撮る。

 

単純に世界一可愛い、という理由が大きいが、自身の代理という役割も少なからずある。

自分自身が入っている写真を見ると気持ち悪くて1秒と見ていられないけれど、楽しかった記録は残したい。そこでお供が楽しんでいる様子を撮れば楽しい記憶として残りつつ精神衛生も保てるという、良いことづくめだ。

 

気軽にお出かけできる日が来るまで、そしてまた仕事がひと段落して遠出できるまで、お供と歩いた写真を振り返って待とう。

 

 

 

f:id:riu0em0uir:20200408005051j:plain

f:id:riu0em0uir:20200408005057j:plain

f:id:riu0em0uir:20200408004238j:plain

f:id:riu0em0uir:20200408004244p:plain